端午の節句といえば5月5日です。
子供の日で男の子のための日ということなんですが、
実際は日本が起源ではありません。
韓国が端午の節句の起源だという説があるようです。
それは間違いで中国が怒ったことがある。
本当のところ端午の節句の起源は中国だった?
などいろいろと調べみました。
端午の節句の起源は韓国?なぜ中国が怒った・・・
端午の節句というと5月5日の子供の日とも言われています。
端午の節句はもともと男の子の日です。
その端午の節句の起源は日本だと思っていた人も多いことでしょう。
実は他の国が起源で日本にも伝わってきたものなんです。
端午の節句の起源は韓国らしいですが、
本当のことなのか調べてみました。
実際のところでは韓国が起源ではなかったということがわかりました。
なぜ中国が怒ったのかというと、
実際の端午の節句の起源は中国だったからです。
中国から韓国や日本へと伝わってきました。
今から14年前の2005年にはユネスコ『人類の無形文化遺産』として、
認められてしまったからです。
そのため中国を怒らせてしまったということになります。
中国の人達が怒るのも当然のことでしょう。
俳優の武田鉄矢さんが、
端午の節句の起源を教えてくれます。
端午の節句の本当の起源・・・
上では端午の節句の起源が韓国じゃないということがわかりました。
それでは本当の端午の節句の起源はどこなのかというと、
中国の休日のことです。
中国の旧暦でのお休みの日がちょうど5月5日で、
日本でいうところの子供の日にあたります。
でも気になったのは5月5日なので日本では男の子の日としてお祝いしますが、
中国も同じように男の子の日なのでしょうか?
端午の節句というのは中国での三大伝統節句の1つになります。
日本のように男の子をお祝いするのかと思ったんですが、
中国では関係ありませんでした。
お祝いをする日ではなくただの節句だったんです。
ということで季節の節目ということでした。
ただの季節の節目だったというのは、
個人的に寂(サビ)しく感じてしまいました。
端午の節句の起源はとある伝説の男が起こした衝撃的(ショウゲキテキ)な出来事が、
関係しているようです。
その出来事というのが何なのかが凄く気になります。
ということで調べてみました。
そもそもの始まりは昔・楚(ソ)の国からで、
そこで楚(ソ)の国にはむかうことのない政治家で、
中国古代から凄い偉い詩人がいました。
名前を屈原(クツゲン)といい、
屈原(クツゲン)が関係しているんです。
自分の国である楚(ソ)の国が、
奏(シン)の国に騙(ダマ)されてしまって自分の国が狙われていると、
屈原(クツゲン)は察知しました。
斉(セイ)の国と力を合わせて奏(シン)の国を滅ぼそうと策を練り、
それを自分の国の国王に言いましたが却下されてしまいます。
そして紀元前278年5月5日に楚(ソ)の国は、
奏(シン)の国に攻められてやられてしまいました。
屈原(クツゲン)はそれを聞いて自分がもっと強く言っていたらと後悔して、
汨羅(ベキラ)という名前の川に、
身を投げて自殺してしまったんです。
屈原(クツゲン)という人は詩人としても有名でもあり、
楚(ソ)の国の国民からも好かれていたため、
助けようとして川に船を出して屈原(クツゲン)を探しに行きます。
屈原(クツゲン)の亡骸(ナキガラ)を魚に食べられてしまわないように守ろうとして、
船の上から笹の葉っぱに餅(モチ)を巻きそれを川にまいたり、
太鼓をたたいて音を出して魚を追い払って、
屈原(クツゲン)の亡骸(ナキガラ)を助けたという話があるんです。
端午の節句の起源をわかりやすくするための動画を見つけました。
どうぞご覧ください。
まとめ
- 端午の節句の起源は韓国じゃない
- 本当の端午の節句の起源は中国
韓国だと思っていたのですが、
どうやら中国が怒っているみたいです。
中国が端午の節句の起源だということがわかりました。
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