あなたは、春になるとお花見をしますか?
「お花見」という形で出かけることはなくても
道を歩くと、道路脇で桜が咲いているのを
見かけるのと思います。
街がピンク色になっているのを見ると
心がうきうきしますよね。
私は、通勤が明治通り沿いだったので
桜のシーズンになると、帰り道には
ビールを買いたくなるくらい
気持ちが浮き立っていました。
毎日同じ道を歩いているのに、
毎日桜を見るたびに感動して
同じ道を通勤している同僚と
写真のフォルダがいっぱいになるくらい
飽きずに写真を撮ったものです。
そのお花見の意味や歴史について
今日は説明します。
これからお花見に行く予定のあるあなたも、
道すがらにしか桜は見ないというあなたも、
お花見の歴史の長さを知っていれば
目の前の桜がより愛おしくなるでしょう。
ぜひその歴史と伝統について知っていって
くださいね!!
そもそもお花見は神様のために行われていた!!
そもそも、お花見は農民が行っていたそうです。
「サ」は田んぼの神様、「クラ」は座るを
意味しています。
冬の神様から、春の神様に交代する時期に、
神様を呼び込むために行ったのが庶民の
お花見の始まりです。
その依代となる木こそ、桜だったのです。
農民は、神様にお供えした食べ物を食べる
ことで、サ神の力を体へ宿して
おはらいをしていたのです。
また、花の開き具合を見て、豊作を
占う、なんてこともしていたそうですよ。
貴族が和歌を詠むものだった、平安時代のお花見!!
もうひとつ、現在のお花見のもとになった
ものがあります。
それが、平安時代の貴族のお花見です。
それ以前の奈良時代も、
季節の和歌を詠むことは
よくある貴族のたしなみでした。
ところが、それは梅の花に関するものが
多かったのです。
これは、遣唐使が唐文化を
日本に伝えに来ていたことが
関係しています。
唐では、梅の花を観賞しながら歌を詠む
という文化があったのです。
日本人は、その文化を真似したのですね。
平安時代に遣唐使を廃止すると、
日本の独自の文化が広まるようになります。
そこで、桜の鑑賞をしながら
歌を詠むことが増えていったのです。
鎌倉・室町時代になると、武士の間でも
その文化は広がり、地方でも花見の宴が
催されていたそうですよ。
日本人がお花見が好きなのは、先祖の血を
受け継いでいるのかもしれませんね。
現在のお花見の形になったのは江戸時代!!
貴族がお花見をして和歌を詠む文化、
庶民が田の神様に豊作を祈る文化。
2つの文化が融合したのは江戸時代
だといわれています。
豊臣秀吉などの権力者が開催するお花見は
大勢の人が参加していましたが
それまでのお花見といえば、
決して大人数で行われるものでは
ありませんでした。
江戸時代のお花見事情について
5分程度の解説動画がありました。
当時のお重の中身まで紹介されています。
ぜひ参考にしてくださいね。
この動画では、庶民のストレスが
発散できるように、とありますが、
徳川吉宗が鷹狩を復興させた時に、
鷹狩が農民の田畑を荒らしていたので、
その対策で農民が収入を得られるように
鷹狩りの場に桜の木を植えたという話や
川岸の地面を踏み固める治水対策の
ために、大勢の人が来るよう
桜を植えた、なんて話もあります。
とにかく、徳川吉宗が
さまざまな目的から桜を植えて、
それが庶民の感性に合って
お花見という文化が広まっていった
ということは間違いなさそうですね。
お花見は世界共通の文化になるかも??
最近では桜の美しさに魅せられて、春になると
海外からお花見を目的に日本に来る人が
増えているみたいです。
こちらはお花見についての外国人の意見を
紹介している動画です。
海外では、お酒を外で飲むのを禁止されている
国もあるので、宴会を目的に来るという人も
0ではなさそうです。
ただ外国人の意見を見ていると、その多くは
ソメイヨシノの美しさに惹かれている人が
多いのが分かります。
世界に日本の良さが伝わって嬉しいですね。
もしかすると将来、お花見の文化が
世界共通のものになるかもしれませんね。
まとめ
- お花見の始まりは農民と貴族にあった
- 平安時代に日本独自の文化が広まった
ことで桜のお花見も広まった - 徳川吉宗が今のお花見文化を広めた
- 世界も日本の「お花見」に注目している
世界に誇れるお花見の意味が
少しでも伝われば嬉しいです。
この知識があれば、明日から通勤中に見る桜も
きっとまた違って見えるはずですよ!
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